大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 昭和46年(家)4184号 審判

申立人 竹原つるよ(仮名) 外五名

被相続人亡 竹原幸(仮名)

主文

各申立人らからの、被相続人竹原幸の相続を放棄する旨の各申述を受理する。

理由

(申立および申立理由)

申立人らの実母である被相続人竹原幸は、昭和四五年四月六日死亡(六二歳)し、申立人らも葬式に参列して相続開始の事実を知つた。その相続人は二男竹原澄夫、長女申立人つるよ、三男笠岡民夫(昭和四一年七月四日死亡)の長男高紀、長女悦子、二男民紀(これらは代襲相続人)、四男申立人慎太郎、二女申立人恵子、五男申立人宗夫、六男申立人信彦、七男申立人忠の一〇名である。被相続人幸は無職で、同人名義の不動産もなかつたので、同人の遺産は積極消極財産ともに皆無のものと考え、死亡後三ヵ月の期間を徒過した。しかし、昭和四六年二月五日頃にいたり、はじめて、申立人らが大蔵省関東財務局から、被相続人が昭和三六年二月一四日国に対し、主債務者笠岡民夫の不法行為による損害賠償(和解)金一、五二五、八六〇円につき連帯保証した債務の支払を、相続人として支払請求されるに及び、初めて、被相続人に債務が存在しており、申立人らがその債務を現実に相続したことを知つた。そこで、申立人らは、その相続放棄の申述をしたいので、その受理審判を求める。

(当裁判所の判断)

被相続人の戸籍謄本、申立人ら各審問の結果を総合すると、被相続人が昭和四五年四月六日に死亡したことが認められ、本件記録によると、各申立人らの本件申立が昭和四六年四月一四日東京家庭裁判所に対してされたことが認められるので、本件各申立は被相続人の死亡後三ヵ月を経過していることが明らかである。しかし、また、被相続人、各申立人らの各戸籍謄本、和解調書謄本、関東財務局からの通知書、および、各申立人審問の結果、調査官の調査報告書を総合すると、申立人ら主張の各事実、ならびに、つぎの事実が認められる。

被相続人の三男亡笠岡民夫は昭和三三年頃父善三郎の経営する工場の経営を引継いだが、経営不振となり、昭和四三年頃国所有の起重機附属品の所有権を故意に侵害したことにより国に損害を被らせ、申立人らの主張のとおり和解によりそれを賠償することとなり、相続人澄夫は、その勤務する会社が右民夫の経営する工場と協力関係にあつたところから、前記和解に際し、被相続人とともに前記債務を連帯保証した。澄夫は、「申立人らが民夫の刑事々件を新聞報道で知つた筈であるから少くとも注意をしていれば、被相続人幸がその連帯保証をしたことも知り得た筈」と考えており、申立人らとの間には感情的な対立がある。

右認定を左右する証拠はない。

およそ、民法第九一五条の「自己のために相続があつたことを知つた時」とは、相続人が相続の開始および相続権の取得原因を知つたときであり、さらに、その相続権の取得原因事実の認識は、遺産の存在(その一部でもよい。)の認識と、法律上相続人となることによりその遺産を相続したことの認識を要すると解される。思うに、遺産が全く存在していないと認識している場合に、将来発見されるべき遺産(ことに債務)を予測して相続放棄できると解すると、放棄すべき対象の有無が未確定のうちに放棄することになり、放棄の意思と発生すべき効果との間に齷齬矛盾を生じ(或いは、遺産が発見されることを条件とする放棄となり不適法)、また、遺産が具体的に認識されないときには、客観的にも不存在である場合が多いから、予め相続放棄する実益にも乏しく、相続人が相続財産の存在を知つた時点で、相続放棄をさせる方が実益に合致する。本件において、前記認定事実によると、申立人らが被相続人幸の債務を具体的に認識したのは昭和四六年二月五日頃であるから、前記説示にしたがい、申立人らが自己のために相続の開始があつたことを知つたときは、右の昭和四六年二月五日頃であり、本件申立はそれから法定の三ヵ月以内であり適法というほかない。

さらに、自己のために相続の開始があつたことを知つたときを前記のように解した場合においても、遺産の存在の認識時期について、通常人が認識し得た時期とすべきであるとの反論が考えられるので検討する。遺産ことに債務の存在は、必ずしも全相続人が確知できる程外形的に明瞭ではなく、全く遺産が存在しないと認識していたのに後日思わぬところから請求される本件のような場合もあるから、相続放棄期間中にその債務の存在を認識しなかつたことにつき相続人の過失の有無を検討してその過失があれば通常人がその存在を認識し得た時期であると解すると、多くの場合に相続人の過失が肯定され、実質的に相続放棄を制限する結果を生ずる。相続人が、何ら相続すべき積極財産がないのに、全く思わない時期に債務を負担させられるとの結果と、それにより相続債権者が取立を保護されることとの間の不公平は、救済されなければならない。したがつて、遺産の存在の認識時期は、相続人が現実に認識した時と解すべきである。本件において、この点でも、前記の相続開始があつたことを知つた時期に影響はなく、この点に関する澄夫の前記認定の心情は、法的には理由がない。

前記認定事実によると、各申立人の被相続人幸の相続を放棄する旨の意思表示は各申立人の真意に基づくものであるから、本件各申立にかかる申述を受理するのが相当である。

よつて、主文のとおり審判する。

(審事審判官 高木積夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例